クリシュナムルティ、ボーム、仏教、禅、親鸞

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カテゴリ:[ 暮らし/生活/ペット ] キーワード: クリシュナムルティ ボーム


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[7297] Re: 花は愛惜・草は棄嫌

投稿者: ターボー  投稿日:2017年 7月26日(水)21時27分4秒 pw126255074235.9.panda-world.ne.jp  通報   返信・引用

> > > >  蜂の巣を取らなくてはならなくなりました。
> > > >
> > > > そうしたら、ふと
> > > >  『しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。』
> > > > が思い浮かびました。
> > > >
> > > >  いままで、こんなところの解釈を考えたこともなかったし、
> > > > その前の部分の解釈も済んでいないのに、全部すっ飛ばして・・・・。
> > > >  でも、ああこういうことなのかな、と納得できる節もあるな・・・。
> > > > それとも、我田引水かな。
> > >
> > >
> > >
> > >   実は、昨日これを書いた後、『しかもかくのごとくなりといへども、』という表現にひっかかってしまいました。
> > >
> > > 『しかもかくのごとくなりといへども、』というのは、「通常」は逆接です。そうではあるけれども、の意味です。でも、それではおかしい、ここは順接の、そうであるから、の意味にとらなければおかしい、そう思うようになりました。
> > >
> > >  二元的(主客が分かれる相対差別的)に見ると、『花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。』は、ちょっと洒落た表現という感じですが、不二一元というか、絶対差別の(=~から見るということがない)ところでは『花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。』は、一なる全体の表現として、順接的に当然のことだと思えるのですが・・・・どうなんでしょうか。
> > >
> > >  以下の解釈の下での感覚なんですが。
> > >
> > > [正法眼蔵・現成公案の原文]
> > >  諸法の仏法なる時節、すなわち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり。
> > >  万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。
> > >  仏道もとより豊倹より跳出せるゆえに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。
> > >  しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。
> > >
> > >  よくわからないから、以下の部分は、勝手に次のように置き換えて理解しています。
> > >
> > >  「諸法の仏法なる時節」は、「色即是空」の「色」のところの時節、つまり、主客が分かれる相対差別の二元的パラダイム、要するに、通常の娑婆的感覚で見たとき、という理解。
> > >  「万法ともにわれにあらざる時節」は、「色即是空」の展開していった「空」のパラダイムでは、という理解。
> > > 「仏道もとより豊倹より跳出せるゆえに、」は、「空即是色」ともどってきたところの、絶対差別の(=不二一元の)パラダイムでは、という理解です。
> > >
> > >
> >
> >
> > 水月さん、非常によく勉強されていると思います。
> > 私は、貴方の理解で正しいと思います。
> >
> > だから、相対としての自己(自意識)では悟りはあるわけです。
> > だって認識するんですから。
> > だけど、万法に証せられる時には悟りも迷いもないです。
> > これをどうして分かるかって言うと、実際にちゃんとした見性すると、勝手に本来の自己が仕事したり日常生活してくれてる様な感じなんですよ。
> > それで、なにかの拍子で一念湧くと、自意識が出るんですけど、最後の記憶がその見性の場面なんです。
> >
> > 色即是空即空即是色ですよ。
> > 禅で言うと、絶対平等の絶対差別とか言いますけど、実際はここはほとんど言葉に出来ないとこですよ。
> > だって客観視してる自分がないから、即今即今即今の連続で、自意識に目覚めても全く記憶がないんです。
>
>
>   ああ、見性のところは、そういう見当なんですね。
> 『客観視してる自分がないから、即今即今即今の連続で、自意識に目覚めても全く記憶がないんです。』は、そういうことになってくるのか、ということの想像がつきます。全く記憶がない、というほどに即今になりきることが、熟していくという・・・。
>  どうもありがとうございました。
>
だから物心つく前の記憶ってみんなないですよね。
でも幼稚園の時とか、所々の記憶があったりする。
段々記憶がはっきりしてきて、私の場合だと小学校3年くらいからは、はっきり記憶があります。
その記憶のある部分は、もう2つに物が分かれていて、自意識があるんですよ。
つまり王三昧になってるってことは、反省文がない人生ですね。



[7296] Re: 花は愛惜・草は棄嫌

投稿者: 水月 投稿日:2017年 7月26日(水)20時00分13秒 ntkngw058236.kngw.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp  通報   返信・引用

> > >  蜂の巣を取らなくてはならなくなりました。
> > >
> > > そうしたら、ふと
> > >  『しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。』
> > > が思い浮かびました。
> > >
> > >  いままで、こんなところの解釈を考えたこともなかったし、
> > > その前の部分の解釈も済んでいないのに、全部すっ飛ばして・・・・。
> > >  でも、ああこういうことなのかな、と納得できる節もあるな・・・。
> > > それとも、我田引水かな。
> >
> >
> >
> >   実は、昨日これを書いた後、『しかもかくのごとくなりといへども、』という表現にひっかかってしまいました。
> >
> > 『しかもかくのごとくなりといへども、』というのは、「通常」は逆接です。そうではあるけれども、の意味です。でも、それではおかしい、ここは順接の、そうであるから、の意味にとらなければおかしい、そう思うようになりました。
> >
> >  二元的(主客が分かれる相対差別的)に見ると、『花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。』は、ちょっと洒落た表現という感じですが、不二一元というか、絶対差別の(=~から見るということがない)ところでは『花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。』は、一なる全体の表現として、順接的に当然のことだと思えるのですが・・・・どうなんでしょうか。
> >
> >  以下の解釈の下での感覚なんですが。
> >
> > [正法眼蔵・現成公案の原文]
> >  諸法の仏法なる時節、すなわち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり。
> >  万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。
> >  仏道もとより豊倹より跳出せるゆえに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。
> >  しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。
> >
> >  よくわからないから、以下の部分は、勝手に次のように置き換えて理解しています。
> >
> >  「諸法の仏法なる時節」は、「色即是空」の「色」のところの時節、つまり、主客が分かれる相対差別の二元的パラダイム、要するに、通常の娑婆的感覚で見たとき、という理解。
> >  「万法ともにわれにあらざる時節」は、「色即是空」の展開していった「空」のパラダイムでは、という理解。
> > 「仏道もとより豊倹より跳出せるゆえに、」は、「空即是色」ともどってきたところの、絶対差別の(=不二一元の)パラダイムでは、という理解です。
> >
> >
>
>
> 水月さん、非常によく勉強されていると思います。
> 私は、貴方の理解で正しいと思います。
>
> だから、相対としての自己(自意識)では悟りはあるわけです。
> だって認識するんですから。
> だけど、万法に証せられる時には悟りも迷いもないです。
> これをどうして分かるかって言うと、実際にちゃんとした見性すると、勝手に本来の自己が仕事したり日常生活してくれてる様な感じなんですよ。
> それで、なにかの拍子で一念湧くと、自意識が出るんですけど、最後の記憶がその見性の場面なんです。
>
> 色即是空即空即是色ですよ。
> 禅で言うと、絶対平等の絶対差別とか言いますけど、実際はここはほとんど言葉に出来ないとこですよ。
> だって客観視してる自分がないから、即今即今即今の連続で、自意識に目覚めても全く記憶がないんです。


  ああ、見性のところは、そういう見当なんですね。
『客観視してる自分がないから、即今即今即今の連続で、自意識に目覚めても全く記憶がないんです。』は、そういうことになってくるのか、ということの想像がつきます。全く記憶がない、というほどに即今になりきることが、熟していくという・・・。
 どうもありがとうございました。



[7295] Re: 花は愛惜・草は棄嫌

投稿者: ターボー 投稿日:2017年 7月26日(水)12時40分18秒 pw126255074235.9.panda-world.ne.jp  通報   返信・引用

> >  蜂の巣を取らなくてはならなくなりました。
> >
> > そうしたら、ふと
> >  『しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。』
> > が思い浮かびました。
> >
> >  いままで、こんなところの解釈を考えたこともなかったし、
> > その前の部分の解釈も済んでいないのに、全部すっ飛ばして・・・・。
> >  でも、ああこういうことなのかな、と納得できる節もあるな・・・。
> > それとも、我田引水かな。
>
>
>
>   実は、昨日これを書いた後、『しかもかくのごとくなりといへども、』という表現にひっかかってしまいました。
>
> 『しかもかくのごとくなりといへども、』というのは、「通常」は逆接です。そうではあるけれども、の意味です。でも、それではおかしい、ここは順接の、そうであるから、の意味にとらなければおかしい、そう思うようになりました。
>
>  二元的(主客が分かれる相対差別的)に見ると、『花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。』は、ちょっと洒落た表現という感じですが、不二一元というか、絶対差別の(=~から見るということがない)ところでは『花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。』は、一なる全体の表現として、順接的に当然のことだと思えるのですが・・・・どうなんでしょうか。
>
>  以下の解釈の下での感覚なんですが。
>
> [正法眼蔵・現成公案の原文]
>  諸法の仏法なる時節、すなわち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり。
>  万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。
>  仏道もとより豊倹より跳出せるゆえに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。
>  しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。
>
>  よくわからないから、以下の部分は、勝手に次のように置き換えて理解しています。
>
>  「諸法の仏法なる時節」は、「色即是空」の「色」のところの時節、つまり、主客が分かれる相対差別の二元的パラダイム、要するに、通常の娑婆的感覚で見たとき、という理解。
>  「万法ともにわれにあらざる時節」は、「色即是空」の展開していった「空」のパラダイムでは、という理解。
> 「仏道もとより豊倹より跳出せるゆえに、」は、「空即是色」ともどってきたところの、絶対差別の(=不二一元の)パラダイムでは、という理解です。
>
>


水月さん、非常によく勉強されていると思います。
私は、貴方の理解で正しいと思います。

だから、相対としての自己(自意識)では悟りはあるわけです。
だって認識するんですから。
だけど、万法に証せられる時には悟りも迷いもないです。
これをどうして分かるかって言うと、実際にちゃんとした見性すると、勝手に本来の自己が仕事したり日常生活してくれてる様な感じなんですよ。
それで、なにかの拍子で一念湧くと、自意識が出るんですけど、最後の記憶がその見性の場面なんです。

色即是空即空即是色ですよ。
禅で言うと、絶対平等の絶対差別とか言いますけど、実際はここはほとんど言葉に出来ないとこですよ。
だって客観視してる自分がないから、即今即今即今の連続で、自意識に目覚めても全く記憶がないんです。



[7294] Re: 花は愛惜・草は棄嫌

投稿者: 水月 投稿日:2017年 7月26日(水)11時32分37秒 ntkngw058236.kngw.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp  通報   返信・引用

>  蜂の巣を取らなくてはならなくなりました。
>
> そうしたら、ふと
>  『しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。』
> が思い浮かびました。
>
>  いままで、こんなところの解釈を考えたこともなかったし、
> その前の部分の解釈も済んでいないのに、全部すっ飛ばして・・・・。
>  でも、ああこういうことなのかな、と納得できる節もあるな・・・。
> それとも、我田引水かな。



  実は、昨日これを書いた後、『しかもかくのごとくなりといへども、』という表現にひっかかってしまいました。

『しかもかくのごとくなりといへども、』というのは、「通常」は逆接です。そうではあるけれども、の意味です。でも、それではおかしい、ここは順接の、そうであるから、の意味にとらなければおかしい、そう思うようになりました。

 二元的(主客が分かれる相対差別的)に見ると、『花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。』は、ちょっと洒落た表現という感じですが、不二一元というか、絶対差別の(=~から見るということがない)ところでは『花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。』は、一なる全体の表現として、順接的に当然のことだと思えるのですが・・・・どうなんでしょうか。

 以下の解釈の下での感覚なんですが。

[正法眼蔵・現成公案の原文]
諸法の仏法なる時節、すなわち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり。
万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。
仏道もとより豊倹より跳出せるゆえに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。
しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。

 よくわからないから、以下の部分は、勝手に次のように置き換えて理解しています。

 「諸法の仏法なる時節」は、「色即是空」の「色」のところの時節、つまり、主客が分かれる相対差別の二元的パラダイム、要するに、通常の娑婆的感覚で見たとき、という理解。
 「万法ともにわれにあらざる時節」は、「色即是空」の展開していった「空」のパラダイムでは、という理解。
「仏道もとより豊倹より跳出せるゆえに、」は、「空即是色」ともどってきたところの、絶対差別の(=不二一元の)パラダイムでは、という理解です。


 



[7293] Re: 出発点ではないのですか

投稿者: ターボー 投稿日:2017年 7月26日(水)10時57分30秒 pw126255074235.9.panda-world.ne.jp  通報   返信・引用

> > > あなたはまだ「はい」か「いいえ」で答えていませんね。
> > > どちらかで答えてください。
> >
> > 広義の意味では「はい」です。
> > そして、狭義の意味では「いいえ」です。
> >
> > お望み通り「はい」か「いいえ」で答えました!
>
>
> 広義、狭義という理屈は要りません。
> 「はい」か「いいえ」です。
>
>
> 以下のいずれかを選んでください。
>
>
> 体験は思考ですか?という問いに対して ...
>
>
> A: はい、思考です。
>
> B: いいえ、思考ではありません。
>
>
> いずれかで、どうぞ。


私が答えましょう。
体験は思考です。
体験として認識した時点で思考になります。
だから解脱は体験ではありません。
これが悟りがあるうちは駄目だって言われる所以です。
じゃ悟りなんて体験はないのかと、言うとこれもまた間違い。
あってなきもの、なきにしもあらず。

> それが起こったということです。




> > 不二子さん流に言えば、神の意思がはたらいたということです。
> > 私には分かりませんので、理由は神に訊いてください。
>
>
> 最初からそう書かれなかったのは、なぜですか?
>
> また、あなた自身のお言葉では、つまり「神」という単語を
> 使わないと、どうなりますか?
>
> 「それが起こった」ですか?それとも
> 「私にはわかりません」ですか?どちらでしょうか。
>
>
> 前者は、おっしゃる通り、理由になっていませんね。
> 後者だとすると、「何もコントロールできない」というのも
> 100パーセント確信を持って言えることでもない、
> という感じですか?
>
>
> > コントロールは出来ません。
> > 興味への転換が起こったのです。
>
>
> ところで、このやり取りでは「コントロールは出来ません」というところに
> ツッコミを入れているわけですが、その度にいちいち「コントロールはできない」という
> 主張を自ら擁護しなければならない煩わしさを感じませんか?
>
>
> > > 「目的が読めない」という思考とともに、何か感情は湧いてきましたか?
> >
> > どう答えて目的を引き出すか、それを考えるのが楽しいぞ (^^♪
> > ワクワク?
>
>
> そのワクワクというのは、身体感覚上は、どのような感覚
> ですか?表現することはできますか?



[7292] Re: 出発点ではないのですか

投稿者: 不二子 投稿日:2017年 7月26日(水)07時01分56秒 FL1-220-144-155-7.ngn.mesh.ad.jp  通報   返信・引用 > No.7290[元記事へ]

> > どういっても勘違いとされるだけでしょうが、済みませんけど、私は自分の直観を信じちゃってます( ´艸`)
> > むしろその直感が当たらなければいいな、とさえ思っています。
> >
> > >私は、この駆け引きが愉しくて仕方がないのです。
> > >相手の狙いを外しながら、相手の狙いを読み取る、こんな面白いゲームはありません。
> >
> > 相手にいちいちこんな駆け引きしてたら私なら疲れますね。あなたがそれをゲームと呼ぶからには
> > そこには負けたくないという思いがあり、またある種の傷つきやすさを感じます。
> >
> > そこにあるのは強烈な分離感です。何か重要なものがそこに欠けています。人はそれを感じ取ります。
> >
> > 自我と自我が突っ張り合うと議論になりますが、もともとそれも畢竟宇宙の遊びではあります。
> >
> > けれども、肝心なことはそれぞれの思いや言葉は元々一つのものなんです。
> > それがわかってないと悲惨なことになるとは思います。
> > またわかってないから世界中で色々起こっています。
> >
> > それをわかっているところに慈悲があり安らぎがあります。
>
> 不二子さんの解釈は不二子さんにとって真実ですから、どうぞ信じちゃってください。
> それは、誰にも止められません。(笑)
>
> でも、不二子さんのおとぎ話の中に登場してくるゆらぎ君は、生のゆらぎ君ではありません。
> 不二子さんの中に取り込んで、解釈という加工を施した不二子製ゆらぎ君です。
> そこのところは理解しておいて下さい。
>
> 強烈な分離感や重要なものが欠けていることを感じ取るとのことですが、それは自分の中にある
> ものを感じ取っているのですよ。
> 音を感じ取れるのは、音そのものではなく、音と同じ周波数の自分の鼓膜の振動を感じているの
> です。


生のゆらぎ君?あなたは自分は幻想だと言いませんでしたか?
つまりね、いくら幻想だと暗示をかけてもあなたは人に自我で反応してしまうのです。

あなたは全く私の言葉を理解していません。
私は自我の無い所へあなたを招待しているのですよ。

あなたは私で私はあなただ、と言っているのです。
この意味があなたにわかるでしょうか。

それが理屈でなく本当にわかった時すべてが変わります。



[7291] Re: 出発点ではないのですか

投稿者: swinganova 投稿日:2017年 7月26日(水)06時03分32秒 122x211x49x240.ap122.ftth.ucom.ne.jp  通報   返信・引用   編集済 > No.7289[元記事へ]

> 一連のご質問の目的は何でしょうか?

目的はありません。対話の中であなたがどう反応され、
あなたがどうなっていくのかに興味があるので、
聞いています。


「腑に落ちた」というのは過去の体験ですか?



[7290] Re: 出発点ではないのですか

投稿者: ゆらぎ 投稿日:2017年 7月26日(水)06時02分52秒 61-24-236-206.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用 > No.7288[元記事へ]

> どういっても勘違いとされるだけでしょうが、済みませんけど、私は自分の直観を信じちゃってます( ´艸`)
> むしろその直感が当たらなければいいな、とさえ思っています。
>
> >私は、この駆け引きが愉しくて仕方がないのです。
> >相手の狙いを外しながら、相手の狙いを読み取る、こんな面白いゲームはありません。
>
> 相手にいちいちこんな駆け引きしてたら私なら疲れますね。あなたがそれをゲームと呼ぶからには
> そこには負けたくないという思いがあり、またある種の傷つきやすさを感じます。
>
> そこにあるのは強烈な分離感です。何か重要なものがそこに欠けています。人はそれを感じ取ります。
>
> 自我と自我が突っ張り合うと議論になりますが、もともとそれも畢竟宇宙の遊びではあります。
>
> けれども、肝心なことはそれぞれの思いや言葉は元々一つのものなんです。
> それがわかってないと悲惨なことになるとは思います。
> またわかってないから世界中で色々起こっています。
>
> それをわかっているところに慈悲があり安らぎがあります。

不二子さんの解釈は不二子さんにとって真実ですから、どうぞ信じちゃってください。
それは、誰にも止められません。(笑)

でも、不二子さんのおとぎ話の中に登場してくるゆらぎ君は、生のゆらぎ君ではありません。
不二子さんの中に取り込んで、解釈という加工を施した不二子製ゆらぎ君です。
そこのところは理解しておいて下さい。

強烈な分離感や重要なものが欠けていることを感じ取るとのことですが、それは自分の中にある
ものを感じ取っているのですよ。
音を感じ取れるのは、音そのものではなく、音と同じ周波数の自分の鼓膜の振動を感じているの
です。



[7289] Re: 出発点ではないのですか

投稿者: ゆらぎ 投稿日:2017年 7月26日(水)05時48分33秒 61-24-236-206.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用 > No.7287[元記事へ]

> > 感情は、ワクワクですね。
> > 身体感覚は、思わず微笑みました。
>
>
> いえ、微笑むというのは行為ですが、
> 身体の内側でどんな感覚があるのかを言語化していただきたいのです。
> たとえば、胸がつかえる感じとか、どこかがむずむずするとか ...
>
>
> たとえばゆらぎさんは、嬉しい時はどのような身体感覚が
> 起こりますか?
>
>
> > > 「何もコントロールできない」
> > > ということに100%の確信を持つことはできますか?
> > > もしできるとしたら、なぜですか?
> >
> > 出来ます。
> > 腑に落ちたから。
>
>
> 「腑に落ちた」というのは過去の体験ですか?
>
>
>
> ところで、100%の確信を持つというのは、
> 何かを意固地に守ることではありませんか?
>
>
> それは「何もコントロールできない」自由さとは
> 真逆の硬い感じがしますが、どうでしょうか。
>
>
>
> > 身体感覚は、特にありません。
>
>
> ちゃんと観てみましたか?
> なんとなく、ゆらぎさんは身体感覚に
> 鈍感になられているような気がしてきました。

一連のご質問の目的は何でしょうか?



[7288] Re: 出発点ではないのですか

投稿者: 不二子 投稿日:2017年 7月25日(火)21時06分28秒 FL1-220-144-155-7.ngn.mesh.ad.jp  通報   返信・引用

どういっても勘違いとされるだけでしょうが、済みませんけど、私は自分の直観を信じちゃってます( ´艸`)
むしろその直感が当たらなければいいな、とさえ思っています。

>私は、この駆け引きが愉しくて仕方がないのです。
>相手の狙いを外しながら、相手の狙いを読み取る、こんな面白いゲームはありません。

相手にいちいちこんな駆け引きしてたら私なら疲れますね。あなたがそれをゲームと呼ぶからには
そこには負けたくないという思いがあり、またある種の傷つきやすさを感じます。

そこにあるのは強烈な分離感です。何か重要なものがそこに欠けています。人はそれを感じ取ります。

自我と自我が突っ張り合うと議論になりますが、もともとそれも畢竟宇宙の遊びではあります。

けれども、肝心なことはそれぞれの思いや言葉は元々一つのものなんです。
それがわかってないと悲惨なことになるとは思います。
またわかってないから世界中で色々起こっています。

それをわかっているところに慈悲があり安らぎがあります。



[7287] Re: 出発点ではないのですか

投稿者: swinganova 投稿日:2017年 7月25日(火)20時44分32秒 122x211x49x240.ap122.ftth.ucom.ne.jp  通報   返信・引用   編集済 > No.7285[元記事へ]

> 感情は、ワクワクですね。
> 身体感覚は、思わず微笑みました。


いえ、微笑むというのは行為ですが、
身体の内側でどんな感覚があるのかを言語化していただきたいのです。
たとえば、胸がつかえる感じとか、どこかがむずむずするとか ...


たとえばゆらぎさんは、嬉しい時はどのような身体感覚が
起こりますか?


> > 「何もコントロールできない」
> > ということに100%の確信を持つことはできますか?
> > もしできるとしたら、なぜですか?
>
> 出来ます。
> 腑に落ちたから。


「腑に落ちた」というのは過去の体験ですか?



ところで、100%の確信を持つというのは、
何かを意固地に守ることではありませんか?


それは「何もコントロールできない」自由さとは
真逆の硬い感じがしますが、どうでしょうか。



> 身体感覚は、特にありません。


ちゃんと観てみましたか?
なんとなく、ゆらぎさんは身体感覚に
鈍感になられているような気がしてきました。



[7286] Re: 出発点ではないのですか

投稿者: ゆらぎ 投稿日:2017年 7月25日(火)20時22分27秒 61-24-236-206.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用 > No.7280[元記事へ]

> > > 不安感は一瞬ありましたが、すぐに興味へ変わりましたね。
> > > それが、「でも、こういうのは嫌いじゃないぞ!(笑)」です。
> >
> >
> > なるほど。
> > ここが不安感を「いじっている」ところですね。
> >
> >
> > あなたは自覚されていないかもしれませんが、
> > 「でも、こういうのは嫌いじゃないぞ!(笑)」
> > という思考が、不安感に蓋をした瞬間に見えます。
> >
> >
> > ここのところ、不安感を、連鎖した思考がコントロールしようとしている
> > ように見えるのですが、いかがでしょうか。
>
>
> そうか。。。このところお二人のやりとりを興味深く拝見してましたが、
> 今になってまたちょっと私もキナ臭くなりました。
>  swinganovaさん核心をついてます。
>
> ゆらぎさんの中になんだかまだ無理があるような気がしますね。
> つまり「思考」が目まぐるしく働いてませんか?

そりゃ、働いてますよ。
面白い駆け引きですから。

> やはりプロテクトしているのかな。
> 質問に対して素直に答えないという事自体あなたは常に自我で反応していますね。
> 怖れがあるからなんです。怖れ=自分がまだかわいいんですよ。

またまた、壮大な勘違いですね。(笑)
そりゃ、自我で反応してますよ。
自我は私のお友達ですから。

何を怖れるのでしょう?
swinganovaさんは私以上に質問に対してお答えになりませんが、私以上に怖れて
いるのでしょうか?

私は、この駆け引きが愉しくて仕方がないのです。
相手の狙いを外しながら、相手の狙いを読み取る、こんな面白いゲームはありません。

もしかして、私の思考が試行錯誤しているので、怖れていると勘違いされたのでしょうか?
確かに逡巡しているように思われるかもしれませんが、どう答えれば面白くなるかを真剣に
考えているからそう見えるのです。

> 常に守りに入って逆に自我をのさばらせているような。。。
> 何故なのかな。。。?

守りではなく、攻めているのですが?

> 自我を単に無視すること、野放しにすること、それをあるがままと誤解してませんか?

無視もしてなければ、野放しにもしていません。
やさしく寄り添っています。(笑)

> だから要塞なんです。初めに私が危惧したとおり、毎日の幻想の舞台は
> ある種の自己催眠、つまり自分を騙している事ではないのかな?
>
> 自我をすべてを幻想であると片づけることによってのみ安全であろうとする。。。
> 心がまだより良くなろうとしているんです。期待です。

壮大な勘違いです。

> だから要塞を破壊してそのまま向き合わなければならないと思います。
> 苦しみにそのまま向かっていくということです。それが本当のあるがままです。

あるがままと決めつけたら、あるがままから外れてるのです。

> ラメッシがこんな意味のことを言ってます。
>
> 「すべてが幻想であると片づけることはある種の罠である。だから人生においては
> 行為者はいないと理解しながらも自由意思があるかのように行動
> しなければならない。」
>
> またこうも書いてます:
>
> 「私はすべてが夢だと知っています。私はなんの意志もないことを知っています。で明日から
> 私は何をしたらいいでしょうか」
>
> 「その答えはいつもと違う事をしないように。自分の生き方を修正したり
> 改善したりしないように。意図的に何かをつけくわえたり、ひいたりしないように、という
> ことです。ただ今までやってきたことを続けて下さい」
>
> その上ではじめて個別の自分はいない事、自分は体では無く、行為者でもない、
> すべては宇宙の意志であったということの真の理解がくるんだと思います。
>
> 順序が逆のような気がしますが。。。

ラメッシは、私も好きですよ。
精神肉体機構という概念が気に入っています。(笑)

> まず swinganovaさんの質問を受け入れて素直に答えましょう(笑)
> 自分を守る必要などどこにもないでしょ?

swinganovaさんの方が私の質問にお答えになっていないのですから、
swinganovaさんに言ってあげて下さい。

> じゃないとまた進軍しますよ。

もう進軍してるじゃないですか!(笑)



[7285] Re: 出発点ではないのですか

投稿者: ゆらぎ 投稿日:2017年 7月25日(火)20時20分2秒 61-24-236-206.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用 > No.7284[元記事へ]

> > > 答えはただ起こってきませんか?
> >
> > 質問だけが起こりました。
> >
> > > それとも、答えることへの抵抗がただ起こっていますか?
> >
> > 質問だけが起こりました。
>
>
> それに伴って何かしらの感情は起こりませんでしたか?
> そこに興味があるのです。つまり、何かしらの
> 身体感覚は湧きましたか?というのが問いなのですが ...

感情は、ワクワクですね。
身体感覚は、思わず微笑みました。
さあ、swinganovaさんはどういう反応をされるかな!


> 以下の質問に関して、それを読むことに伴って起こる(コントロールできても
> できなくてもこの際なんでもよいので ... )
> 身体感覚を見てみてもらえませんか?
>
>
>
> 問:
>
> 「何もコントロールできない」
> ということに100%の確信を持つことはできますか?
> もしできるとしたら、なぜですか?

出来ます。
腑に落ちたから。

身体感覚は、特にありません。


> あと、これは問いではなくて対話を通じての素直な感想なのですが、
> あなたのおっしゃる「何もコントロールできない」って、
> 何だかロボットみたいな無機質な感じがしませんか?

しません。


> ご自身で私との対話を振り返ってみると、
> どう感じられますか?

面白かったです。



[7284] Re: 出発点ではないのですか

投稿者: swinganova 投稿日:2017年 7月25日(火)20時08分24秒 122x211x49x240.ap122.ftth.ucom.ne.jp  通報   返信・引用 > No.7283[元記事へ]

> > 答えはただ起こってきませんか?
>
> 質問だけが起こりました。
>
> > それとも、答えることへの抵抗がただ起こっていますか?
>
> 質問だけが起こりました。


それに伴って何かしらの感情は起こりませんでしたか?
そこに興味があるのです。つまり、何かしらの
身体感覚は湧きましたか?というのが問いなのですが ...


以下の質問に関して、それを読むことに伴って起こる(コントロールできても
できなくてもこの際なんでもよいので ... )
身体感覚を見てみてもらえませんか?



問:

「何もコントロールできない」
ということに100%の確信を持つことはできますか?
もしできるとしたら、なぜですか?



あと、これは問いではなくて対話を通じての素直な感想なのですが、
あなたのおっしゃる「何もコントロールできない」って、
何だかロボットみたいな無機質な感じがしませんか?


ご自身で私との対話を振り返ってみると、
どう感じられますか?



[7283] Re: 出発点ではないのですか

投稿者: ゆらぎ 投稿日:2017年 7月25日(火)19時49分52秒 61-24-236-206.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用 > No.7278[元記事へ]

> > ご質問の目的は、何でしょうか?
>
>
> ただ、質問が起こったのですが ...

承知しました。


> 答えはただ起こってきませんか?

質問だけが起こりました。

> それとも、答えることへの抵抗がただ起こっていますか?

質問だけが起こりました。



[7282] 花は愛惜・草は棄嫌

投稿者: 水月 投稿日:2017年 7月25日(火)16時52分35秒 ntkngw058236.kngw.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp  通報   返信・引用

 蜂の巣を取らなくてはならなくなりました。

そうしたら、ふと
 『しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。』
が思い浮かびました。

 いままで、こんなところの解釈を考えたこともなかったし、
その前の部分の解釈も済んでいないのに、全部すっ飛ばして・・・・。
 でも、ああこういうことなのかな、と納得できる節もあるな・・・。
それとも、我田引水かな。



[7281] Re: 出発点ではないのですか

投稿者: 不二子 投稿日:2017年 7月25日(火)08時25分16秒 FL1-220-144-155-7.ngn.mesh.ad.jp  通報   返信・引用 > No.7280[元記事へ]

一部付け加えます。

またこうも書いてます:

「私はすべてが夢だと知っています。私はなんの意志もないことを知っています。で明日から
私は何をしたらいいでしょうか」

↑この部分はあくまでも本を読んだり、修行をしたりで得た「知識」のみということでまだ真の理解や悟りには至っていない状態ですのことです。



「その答えはいつもと違う事をしないように。自分の生き方を修正したり
改善したりしないように。意図的に何かをつけくわえたり、ひいたりしないように、という
ことです。ただ今までやってきたことを続けて下さい」

その上ではじめて個別の自分はいない事、自分は体では無く、行為者でもない、
すべては宇宙の意志であったということの真の理解がくるんだと思います。

順序が逆のような気がしますが。。。



[7280] Re: 出発点ではないのですか

投稿者: 不二子 投稿日:2017年 7月25日(火)08時11分47秒 FL1-220-144-155-7.ngn.mesh.ad.jp  通報   返信・引用 > No.7269[元記事へ]

> > 不安感は一瞬ありましたが、すぐに興味へ変わりましたね。
> > それが、「でも、こういうのは嫌いじゃないぞ!(笑)」です。
>
>
> なるほど。
> ここが不安感を「いじっている」ところですね。
>
>
> あなたは自覚されていないかもしれませんが、
> 「でも、こういうのは嫌いじゃないぞ!(笑)」
> という思考が、不安感に蓋をした瞬間に見えます。
>
>
> ここのところ、不安感を、連鎖した思考がコントロールしようとしている
> ように見えるのですが、いかがでしょうか。


そうか。。。このところお二人のやりとりを興味深く拝見してましたが、
今になってまたちょっと私もキナ臭くなりました。
swinganovaさん核心をついてます。

ゆらぎさんの中になんだかまだ無理があるような気がしますね。
つまり「思考」が目まぐるしく働いてませんか?

やはりプロテクトしているのかな。
質問に対して素直に答えないという事自体あなたは常に自我で反応していますね。
怖れがあるからなんです。怖れ=自分がまだかわいいんですよ。

常に守りに入って逆に自我をのさばらせているような。。。
何故なのかな。。。?

自我を単に無視すること、野放しにすること、それをあるがままと誤解してませんか?

だから要塞なんです。初めに私が危惧したとおり、毎日の幻想の舞台は
ある種の自己催眠、つまり自分を騙している事ではないのかな?

自我をすべてを幻想であると片づけることによってのみ安全であろうとする。。。
心がまだより良くなろうとしているんです。期待です。

だから要塞を破壊してそのまま向き合わなければならないと思います。
苦しみにそのまま向かっていくということです。それが本当のあるがままです。

ラメッシがこんな意味のことを言ってます。

「すべてが幻想であると片づけることはある種の罠である。だから人生においては
行為者はいないと理解しながらも自由意思があるかのように行動
しなければならない。」

またこうも書いてます:

「私はすべてが夢だと知っています。私はなんの意志もないことを知っています。で明日から
私は何をしたらいいでしょうか」

「その答えはいつもと違う事をしないように。自分の生き方を修正したり
改善したりしないように。意図的に何かをつけくわえたり、ひいたりしないように、という
ことです。ただ今までやってきたことを続けて下さい」

その上ではじめて個別の自分はいない事、自分は体では無く、行為者でもない、
すべては宇宙の意志であったということの真の理解がくるんだと思います。

順序が逆のような気がしますが。。。

まず swinganovaさんの質問を受け入れて素直に答えましょう(笑)
自分を守る必要などどこにもないでしょ?

じゃないとまた進軍しますよ。



[7279] はずれ

投稿者: 水月 投稿日:2017年 7月25日(火)07時51分36秒 ntkngw058236.kngw.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp  通報   返信・引用

最近、あれこれ勘がはずれっぱなしだ。
やれやれ。



[7278] Re: 出発点ではないのですか

投稿者: swinganova 投稿日:2017年 7月25日(火)06時40分32秒 122x211x49x240.ap122.ftth.ucom.ne.jp  通報   返信・引用 > No.7276[元記事へ]

> ご質問の目的は、何でしょうか?


ただ、質問が起こったのですが ...


答えはただ起こってきませんか?

それとも、答えることへの抵抗がただ起こっていますか?


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