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「讃州勝賀西表平尾合戦の記」、「香川信景、土佐元親に降するの記」を転記しました。

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月23日(土)20時19分20秒 ftu42127227236.yuzu-tv.ne.jp
返信・引用
  2017.9.23

「讃州勝賀西表平尾合戦の記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1579Fc.htm

「香川信景、土佐元親に降するの記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1579Fd.htm

を転記しました。
大学もそろそろ後期日程が始まりますので、あとは暇を見つけてボツボツ転記を進めます。
これで「南海治乱記」も第10巻まで転記完了です。まあ、内容が長いので時間がかかります。
今回は
羽床の香西攻めと、香川氏の元親降伏の項です。
天正6~7年にかけて一気に讃岐に雪崩れ込んだ土佐勢は
小領主達の城を攻略していきます。
香川氏の降参は、そんな小領主が浸食されていった前なのか後なのか
前であればとんでもない背信行為、後であればやむを得ない辛い忍従ということになります。
小生は、豊田郡がほとんど侵略されての屈服ととっているのですが、如何でしょうか?
藤目城を助けられなかったのは、元親に釘を刺されていたからかもしれません。
しかし、香川氏があっさりと降伏した事で、次は羽床氏や長尾氏が矢面に立たされます。
讃岐武士の意地をかけた必滅必定の戦いが始まります。それは、第11巻のお楽しみに・・・

↓写真は「信長の野望」に登場の香川之景です。
小生は、之景が信長の諱の一字をもらって信景と称したと認識しているのですが
之景は信景の父であるとか、元景が信景になったとか書物によってさまざまです。
確かに「元」という字と「之」という字は行書体で書くと区別しづらいので
なかなか悩ましいところです。
甚だしいのは、之景が養子になった長宗我部親和であるというのもあります。
さてさて、どれが正しいのでしょうか?
 
 

「讃州福家七郎、殺害被らるるの記」を転記しました。

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月18日(月)19時51分53秒 ftu42127227236.yuzu-tv.ne.jp
返信・引用
  2017.9.18

「讃州福家七郎、殺害被らるるの記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1579Fb.htm

を転記しました。
香西家と羽床家の確執を、なんとか和睦に持って行きたいと
双方の間で悩む福家七郎を
香西佳清は、冷酷にも船の上で暗殺してしまいます。
裏切りは許さないという佳清の偏執的な性格に
世の人々は眉をひそめた、と伝えられ、
「南海治乱記」や「全讃史」も七郎に同情的な批評をしています。
このような状況で、遂に資載は佳清に直接対決に挑んでいきます。
長宗我部元親が迫り来る中での、何の実りもない内訌戦だけに
彼も絶望的な気持ちになったと思います。

1572年の三好長治の香川郡木太郷の鷹狩りの項に
羽床政成(資載の父)のユニークな「玉藻集」の逸話を追加しました。
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1572Fa.htm

当時の武士の教養の程が偲ばれて、とても面白いと思います。
↓は、「信長の野望」の三好長治です。
暗愚な暴君とは違った剛胆な武将のイメージです!
ぜひ、ご一読ください。

 

「讃州香西家内乱の記」、「香川民部少輔、毛利家に服従の記」を転記しました。

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月16日(土)00時07分53秒 ftu42127227236.yuzu-tv.ne.jp
返信・引用
  2017.9.15

「讃州香西家内乱の記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1578Fe.htm

「香川民部少輔、毛利家に服従の記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1579Fa.htm

を転記しました。
香西家と仇敵となった、羽床資載は攻撃を開始します。
まず、柾木城の瀧宮豊後守・・離縁された佳清の妻の妹の嫁ぎ先です。
佳清に近い豊後は、妻を離縁するだろうと踏んでの攻撃でした。
しかし、大将の羽床忠兵衛は不測の死を遂げてしまいます。
次は、綾北条郡の香川民部少輔行景。
元々は羽床と同族ですが、これも佳清派とみての攻撃でした。
しかし、小早川隆景に援軍を頼んで、資載はこれまた思わぬ敗軍となってしまいます。
隆景は、現在の坂出市街を通過して西庄城に押し寄せました。
小生の坂出の実家は、その砂州上(中州)にあります。
家の敷地を隆景軍が踏んでいったと思うと、感慨もまたひとしおです。
「玉藻集」の記事と合わせて長文になってしまいました。申し訳ありません。
小早川軍が押し寄せるところは、元吉合戦とよく似ていますが
この2つは全く別の合戦です。坂出には摺臼山という山や城はありません。
小早川VS羽床という戦いの構図も同じですが、絶対に同じものではないと思います。
また、皆様のご意見をお聞かせ頂ければ幸甚です。

↓は、「信長の野望」の讃岐国人衆・・・
香川民部少輔も、このような武将だったのでしょうか?

 

「讃州藤目城主、土州元親に服従するの記」、「土佐元親、讃州財田に発向の記」を転記しました。

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月12日(火)02時55分54秒 ftu42127227236.yuzu-tv.ne.jp
返信・引用
  2017.9.11

「讃州藤目城主、土州元親に服従するの記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1578Fc.htm

「土佐元親、讃州財田に発向の記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1578Fd.htm

を転記しました。
元親の讃岐進入の矢面に立たされて滅んだ
新目弾正と財田和泉守常久の物語です。
土佐方への、香川元景の思わぬ寝返りによって
讃岐の諸将は最初から苦戦を強いられてしまいました。
治乱記では、余り触れられていませんが
香川氏領内の
細川伊予守氏政(九十九城主)や細川土佐守頼弘(仁尾城主)
近藤出羽守国久(麻城主)、大平伊賀守国祐(獅子ヶ鼻城主)
も元親に抵抗して滅ぼされたと伝えられています(異説はありますが・・)
おそらく、香川氏の意向に従わなかったため、領内の掃討戦で
虱潰しに個々に攻撃されていったのでしょう。
香川県内では、今も長宗我部元親憎し、の風潮が高いため
こうした義に殉じた小領主を讃える慰霊祭や、遺跡の整備が盛んです。
↓写真は、藤目城近くで開催される、仲南町の「ひまわり祭り」と土讃線。
(写真は、 http://4travel.jp/travelogue/10355296より拝借)
ひまわりの花言葉は「あなたは素晴らしい」・・
弾正さん、和泉守さん、貴方のことですよ!(^^
 

「讃州藤尾城経始の記」、「信長公、土州元親に制止を加へ被るるの記」、「北伊予三郡の兵将、元親に服従の記」を転記しました。

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月 7日(木)21時21分22秒 ftu42127227236.yuzu-tv.ne.jp
返信・引用
  2017.9.7

「讃州藤尾城経始の記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1578Fb.htm

「信長公、土州元親に制止を加へ被るるの記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1578Ga.htm

「北伊予三郡の兵将、元親に服従の記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1578Ha.htm

を転記しました。
次々と侵略の魔の手を伸ばす長宗我部元親と、それを阻止せんとする織田信長
双方のしがらみの間に立って困難な外交を遣り繰る、明智光秀とその家臣達・・・
本能寺の変以降の出来事は、元親のやりたい放題の侵攻という事で、話はわかりやすいのですが
織田氏との戦闘状態に至るまでの駆け引きの面白さが、この頃の歴史の醍醐味です。
香西成資も、多少の年号の勘違いもありますが
とても良く、当時の状況を把握していると思います。さすがは成資です。
↓肖像は、「信長の野望」に登場する
元親の走狗となって、調略を繰り返す大西上野介頼包です。
少し内野聖陽に似ているような・・?

 

「十河存保、三好家を継ぐの記」、「阿州重清、殺害に遇ふの記」、「香西氏臣、権威を争ふの記」等を転記しました。

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 9月 2日(土)02時04分0秒 ftu42127227236.yuzu-tv.ne.jp
返信・引用
  2017.9.2

「十河存保、三好家を継ぐの記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1578Ea.htm

「阿州重清、殺害に遇ふの記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1578Eb.htm

「阿州重清合戦の記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1578Ec.htm

「香西氏臣、権威を争ふの記」「阿波讃岐の兵将、三好存保に属するの記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1578Fa.htm

を転記しました。
三好長治の死によって混乱していた阿波国も
十河存保の帰国によって転機を迎えます。
迫り来る強敵、元親に対し対決姿勢を露わにしていきます。
阿波讃岐の挙国一致体制を固めていく途中で
内訌に苦しむ香西氏は自滅の道を辿ることになります。
その最初が有名な「成就院事件」です。
小生は、陰の黒幕を羽床資載と踏んでいるのですが
異論もあることでしょう。色々とご意見をお聞かせ頂ければ幸甚です。
その後の、羽床資載の行動は、破れかぶれの自暴自棄に見えますが
実は、三好に最後まで忠誠を尽くす
彼なりのリーズナブルな考えによるもので、非常に良く理解できます。
小生は、矢野駿河や森飛騨と並ぶ三好の忠臣のひとりだと思っています。
そう思うと、彼が哀れでなりません。
↓写真は、「信長の野望」に登場する羽床資載です。
小生のイメージにピッタリ!!

 

「土佐元親、阿波大西邑に出陣の記」、「土佐元親、雲辺寺に登るの記」、 「一宮長門守、高崎表に出陣の記」等を転記しました

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月31日(木)02時19分55秒 ftu42127227236.yuzu-tv.ne.jp
返信・引用
  2017.8.30
「土佐元親、阿波大西邑に出陣の記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1577Ec.htm

「土佐元親、雲辺寺に登るの記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1577Ed.htm

「一宮長門守、高崎表に出陣の記」「矢野駿河守、南方桑野に出陣するの記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1577Ee.htm

を転記しました。

矢野駿河守国村と一宮長門守成助の攻防戦は、余り詳しく記載された書物もなく
また、誤った解釈も多いイベントですが、「昔阿波物語」が最も詳細に正確に伝えていると思い
併記しておきました。
孤立した国村が船で讃岐まで回漕して勝瑞に帰ったという説が多いのは
讃岐の津田と、徳島市の津田を取り違えたものだと思います。確かに、当時の讃岐引田付近は
国村の支配だったので、船まで使ったのだから讃岐まで迂回したと考えがちで
小生も最初はそう考えていましたが、単に勝浦川を渡って対岸の津田に着いたとするのが最短で
一番、リースナブルだと思います。
それにしても、国村を置き去りにして単独戦線を離脱した、篠原自遁の体たらくぶりはどうでしょう。
国村も呆れかえったに相違有りません。
まあ、どこでも、こんな人はいますよね。なんだか、憎めないんですがね。

では、また。
 

「老父夜話(巻之九)を転記しました。

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月28日(月)01時13分25秒 ftu42127227236.yuzu-tv.ne.jp
返信・引用
  2017.8.27

「老父夜話;巻之九」を転記しました。

http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1575Eb.htm

「南海治乱記」には、所々に「老父夜話」と銘打って、様々な逸話が書かれています。
巻之九では、長宗我部元親の「鉉切れ弓折れる」夢診断と、
三好家におこった怪異現象についてです。
元来、長宗我部家はご神託を大事にする家柄で
家臣との合議の後でも、最後にご神託を仰ぐことを常としていました。
岡豊八幡の神主である谷左近は、元親から夢に関して神託を求められたのに
自分の勝手な解釈で「吉夢」と判断しました。
本当に吉夢だったのでしょうか?皆様のご意見はいかがですか?

三好家の怪異現象は、家臣の実名も詳細に記録されておりリアルです。
↓は、NHK大河の「太平記(第8回)」の一場面。
時の執権、北条高時(片岡鶴太郎)が、「妖霊星・・」と呟く天狗達に囲まれているところです。
ドラマでは、内管領の長崎円喜(フランキー堺)を暗殺する伊賀忍者として描かれています。
妖霊星(ようれぼし)とは、世に災いをもたらす彗星のことです。
結構、印象に残る一コマでした。
 

「一條殿若君守立るの記」、「西方渡川城陥るの記」、「東方野根城陥るの記」を転記しました。

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月24日(木)02時47分39秒 ftu42127227236.yuzu-tv.ne.jp
返信・引用
  2017.8.23

「一條殿若君守立るの記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1574Hb.htm

「西方渡川城陥るの記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1575Ha.htm

「東方野根城陥るの記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1575Hb.htm

を久しぶりに転記しました。
元親の土佐平定完結編です。
土佐一條家は身内を以て身内を制す
まさに、「三国志」曹植の七歩の詩
「豆を煎るに豆がらを燃やす 豆は釜中に在りて泣く」ですね。
滅び行くものの悲哀を感じさせます。

野根氏の先祖は鷲住王・・讃岐の飯山大権現の主で初代讃岐の国造と伝えられています。
最初の国造は、悪魚退治の武殻王(讃留霊王)と神櫛王でなかったのでは?・・・と
まあ、細かい事は言いっこなしでしょう。
とにかく、野根と讃岐の意外な接点が見いだせて嬉しく思います。
我が讃岐の誇る中山城山の鷲住王賛歌もいいですねえ~
「権勢を假らずして能く人急を脱し、一日の勤無くして其の名を朽たさず。」
今の腐れきった政治家に言ってやりたい名文だと思います。

写真は,高松市の「香南歴史民俗郷土館」(旧由佐城址)の中山城山展示室です。(同館HPより)
 

「安岐郡兵役記」「高岡郡兵役記」「仁井田表兵役記」を転記しました。

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月 3日(木)15時10分36秒 p32030-ipngnfx01souka.saitama.ocn.ne.jp
返信・引用
  2017.8.2

「安岐郡兵役記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1570Ha.htm

「高岡郡兵役記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1570Hb.htm

「仁井田表兵役記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1571Ha.htm

を転記しました。
最近は大学も夏休み・・この間にできるだけ転記を進めます。
これが終わってからが、HPの始まりと考えています。よろしくお願いします。

安芸氏と最大の攻防戦となった「矢流の戦い」
両軍の放つ夥しい矢で、川が埋め尽くされたというのが地名の由来だそうです。
レストラン矢流の名物”釜上げちりめん丼”・・また、食べたいなあ。
佐竹信濃の又甥が、伊達騒動で有名な柴田外記です。
NHK大河ドラマファンの小生は
「樅の木は残った」総集編を時々見るのですが
柴田外記役は、時代劇悪役で有名な神田隆さんが務めました。(下写真)
史実では、伊達本家取潰しを画策する宗勝派の原田甲斐に斬殺されるのですが
大河では、酒井忠清の家臣に不意打ちで殺されてしまいます。
一刀で斬られて、縁の下に転げ落ちるシーンは忘れることができません。
神田さん自身も、必殺仕置人の最終回撮影後に
京都駅のエスカレータから転げ落ちて亡くなったそうです。
何か運命的なものを感じますね。
ところで
久礼城の近くにある「鰹乃國の湯宿 黒潮本陣」・・
本陣と云うからには、何かお城と関係があるのかチョット気になり
調べて見ましたが、結局わかりませんでした。
まあ、「黒潮本陣」のトレードマークは家紋「渡辺星」のようですが
佐竹氏は、本家と同じ、日の丸の扇を広げた「月丸」ですから
関係はないようにも思います。少し残念・・・

では。

 

「香美郡兵役記」「長岡郡兵役記」「土佐郡兵役記」を転記しました。

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月31日(月)00時17分11秒 p32030-ipngnfx01souka.saitama.ocn.ne.jp
返信・引用
  2017.7.30

「香美郡兵役記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1556Ha.htm

「長岡郡兵役記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1562Ha.htm

「土佐郡兵役記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1563Ha.htm

3連発を転記しました。
順番に、香宗我部氏、秦泉寺氏、吉良氏への侵略が記されています。
平和的に併合したものもあれば、完全に滅ぼされたものもあります。
続いて鉾先は、最大のライバル安芸氏と、下克上となる主君、土佐一條家に向けられます。
長宗我部元親、怒濤の進撃が活き活きと描写されています。
興味あるのは、吉良親実の怨霊・・いわゆる「七人ミサキ」伝説で
今でも恐れられている悪霊中の悪霊です。
元親が供養しても、全く収まらなかったそうで、綿々として今日に及んでいます。
よほど、親実は無念の最期だったのでしょう。
おそろしや、おそろしや・・・
 

「長曽我部元親創業記」「長曽我部宮内少輔、長浜城を抜くの記」「吾川郡兵役記」

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月29日(土)00時45分36秒 ftu42127227236.yuzu-tv.ne.jp
返信・引用
  2017.7.28

「長曽我部氏由来記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1539Ha.htm

「長曽我部宮内少輔、長浜城を抜くの記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1560Ha.htm

「長曽我部元親創業記」「吾川郡兵役記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1567Ha.htm

3連発を転記しました。
長宗我部元親が、如何に土佐を統一し、他国に侵略していくのか
その過程を見ることは、非常に興味あることです。
今夜は、本山氏との対決場面であり、元親初陣の勇姿が描かれています。
岡豊城には、長槍を持つ元親初陣の銅像が建立されています。
物語を知って見ると、また、感慨深いものがあります。

では、また。


 

「伊澤越前守戦死の記」「松永弾正滅亡の記」

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月27日(木)01時33分32秒 ftu42127227236.yuzu-tv.ne.jp
返信・引用
  2017.7.26

「伊澤越前守戦死の記」と「松永弾正滅亡の記」を転記しました。

http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1577Eb.htm
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1577Ga.htm

伊澤越前守は、矢野国村によって謀殺されました。
旧知の庄野久右衞門を使っての騙し討ちは、余り好きにはなれませんが
主君を裏切った謀反人には相応しい死に方かも・・
しかし、裏を返せば、細川家に忠義を尽くした忠臣とも言えるのですが・・

松永弾正の死も、戦国の三大梟雄として見事なもの。
ところで、三大梟雄とは、誰と誰かおわかりですか?
????????????????????

松永久秀+北条早雲+斎藤道三
松永久秀+斎藤道三+宇喜多直家
のどちらかだそうです。
まあ、謀殺と暗殺を多用した点では
松永久秀と宇喜多直家が二大巨頭でしょう。
北条早雲は、結構、正々堂々と渡り合っています。
宇喜多直家は、”尻はす”と呼ばれる大腸癌(肛門癌)での悲惨な病死ですから
やはり、最期まで梟雄らしい死に方を全うしたのは久秀に軍配が挙がるでしょう。

これで、巻之八は終わりです。
しばらく、次の巻之九は、長宗我部氏の台頭となります。
お楽しみに・・・

 

三好長治滅亡の記

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月24日(月)20時01分4秒 i114-185-29-198.s41.a011.ap.plala.or.jp
返信・引用
  2017.7.24

「三好長治滅亡の記」を転記しました。

http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1577Ea.htm

この事件を境に、三好氏は長宗我部元親とのし烈な戦いに突入します。
長曽我部氏に対抗するためには、仇敵、信長との連合も考えなければならず
信長を敵とみなす長治は、連合派にとって、最大の障害であったのかもしれません。
殺されるべくして殺された、ということでしょうか?
皆様は、どのようにお考えでしょうか?

では、また。
 

三好長治、舟長を惨殺!

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 7月 7日(金)17時31分51秒 p32030-ipngnfx01souka.saitama.ocn.ne.jp
返信・引用
  2017.7.7

久しぶりに転記しました。
本日は「阿波屋形長治、国家存亡を辨ぜざるの記」

http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1576Ec.htm

その中で、長治が命に従わなかった舟長を惨殺する話があります。
讃岐で鷹を叩き殺した小童を牛裂きの刑に処する話とともに
長治の残忍さを強調する形となっています。
芦原から引きずり出されて、真っ向唐竹割で伐り殺される場面は
想像するだけでも、身の毛もよだつ恐ろしさを感じます。
その同じ脇差で、同じ日時に自害する訳ですから、まさに因果応報というべきですね。

では。
 

元吉合戦

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月24日(土)23時25分28秒 ftu42127227236.yuzu-tv.ne.jp
返信・引用
  2017.6.24

元吉合戦を転記しました。
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1577Fa.htm

南海治乱記には記述がなく、毛利方の史料に詳しい謎?の合戦・・
香川県善通寺市の元吉城(櫛梨城)と摺臼山城を舞台に
香川・小早川連合軍と長尾・羽床・三好連合軍が戦いました。
櫛梨城は、小生の父の実家近くで小学生の頃からよく登りました。
明治時代まで、女郎松と呼ばれる松の巨木があって
夜な夜な、お姫様の幽霊がすすり泣いていたと
お祖父さんから、よく聞いたものです。
いつの日か、また櫛梨山に登って当時を偲んで見たいものです。

 

大西覚養の動揺と寝返り・・

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月23日(金)21時21分31秒 p36113-ipngnfx01souka.saitama.ocn.ne.jp
返信・引用
  2017.6.23

「阿州大西覚養、土州元親に降るの記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1576Ea.htm

「大西覚養、違変を生じ人質を捨つるの記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1576Eb.htm
を転記しました。
三好長冶の政権末期の頃
河内の三好笑岩からは織田信長に付けと勧誘され
長宗我部元親からは土佐方に寝返れと説得され
揺れ動く阿波の小領主たちの迷いがここにはあります。
おそらく、大西覚養だけでなく、多くの武将も動揺したことでしょう。
元親の勧誘が少しだけ早かったのは、覚養の運が悪かったとしか言いようがありません。
しかし、畿内の情勢を知る阿波の主だった領主は、最初から笑岩の誘いに乗ったはず・・
そのために、もっとも邪魔なのは、三好長冶だったかも・・
長冶は、どちらからも邪魔な存在として消される運命だったのかもしれませんね。

ご笑覧のほどを・・(アドレスの数字がイベントの西暦です。)

 

「讃州兵将、信長に服従するの記」

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月18日(日)22時14分22秒 p32030-ipngnfx01souka.saitama.ocn.ne.jp
返信・引用
  2017.6.18

「讃州兵将、信長に服従するの記」を転記しました。
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1576Fa.htm
三好につくか、毛利につくか、はたまた織田につくか
讃岐の諸家は難しい選択に迫られます。
香川香西両家は、結局、織田につく選択をするのですが
全部の讃岐の兵将が、この選択に賛成した訳ではなかったと思うのです。
特に、羽床氏などは反対したのではないかと、小生は考えています。
これが、翌年に起こった元吉合戦の伏線となっているような気がします。
それはまた、元吉合戦の項目で考察したいと思っています。

ご笑覧のほどを・・(アドレスの数字がイベントの西暦です。)

 

「土佐元親、阿州に出陣の記」

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月17日(土)21時00分49秒 p32030-ipngnfx01souka.saitama.ocn.ne.jp
返信・引用
  2017.6.17
ちょっと、疲れていたのですが
夕方から
1575年の、元親阿波侵攻の項を転記しました。
このあたりは、「元親記」の方が詳しいので
南海治乱記の後で、併記していく予定です。

「土佐元親、阿州に出陣の記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1575Ea.htm
島彌九郎が惨殺された那佐湾・・海部から宍喰の途中にある
細長い美しい湾です。水も綺麗で、水底まで透き通って見えます。
小生も「遊遊NASA」がお気に入りで、翌朝、ゆったりと那佐湾を見下ろすのが好きでした。
近くにあった喫茶「ミルキーアイランド」・・今はもうないんだろうなあ・・
本当に島彌九郎は元親の弟なのだろうか?本当に海部宗寿に殺されたんだろうか?
余りにも、時期を得ているよなあ・・と
海を見ながら飲むコーヒーの味は、また格別でした。
 

三好笑岩、信長に降伏・・

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月16日(金)22時37分55秒 ftu42127227236.yuzu-tv.ne.jp
返信・引用
  本日、2017.6.16
天正3年の2記事を転記しました。

「三好山城入道笑岩、信長に降するの記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1575Ga.htm
本能寺の変さえなければ、笑岩は四国の大名となっていたことでしょう。

「三好家兵将、讃州寒川に発向の記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1575Fb.htm
弟の十河存保から、兄の三好長治への諫言の書が、心を打ちます。
この時すでに、長宗我部元親の海部侵攻は開始されていました。

ご笑覧のほどを・・(アドレスの数字がイベントの西暦です。)
 

本日より・・・

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月15日(木)20時28分18秒 ftu42127227236.yuzu-tv.ne.jp
返信・引用
  「南海治乱記」の転記も、天正3年に至り
遂に、長宗我部元親の阿波侵攻を迎えることとなりました。
転記作業は、仕事の合間を縫っての遅々たるものですが
どこまで進んだかをお知らせするために
更新ごとに、この掲示板で報告することにします。
本日、2017.6.15

「安宅冬康の記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1564Gb.htm
当時の世相にあって、文武両道と己の節度を守った仁将ゆえに
その最期もまた、悲劇的なものでした。

「讃州那珂郡金倉陣の記」
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/1575Fa.htm
金倉顕忠は、なぜ無謀な戦いを香川氏に挑んだのか?・・
その謎を、自分なりに考察しています。
南海治乱記の他に、西讃府志と玉藻集の記事も、転記しました。

ご笑覧のほどを・・(アドレスの数字がイベントの西暦です。)
 

南海治乱記の巻之七まで

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 6月 5日(月)16時54分10秒 p32030-ipngnfx01souka.saitama.ocn.ne.jp
返信・引用
  平成29年6月5日

「南海治乱記の巻之七」まで転記完了。
この巻は、畿内における三好氏の衰退と、三好長治の圧政について記述されています。
三好長治と十河存保が入れ替わっておれば、また、三好氏の命運も変わっていたかもしれません。
正男と正恩が、入れ替わっておれば・・と考えるのと同じでしょうか?

香川元載の本太城攻撃は、なかなか難しい謎を残しているようです。
毛利氏、村上水軍、大友氏、浦上氏、浮田氏という複雑な勢力の拮抗下にあった、当時の児島の
誰を、元載は攻めたのでしょうか?
おまけに裏切りや寝返りが、何度も繰り返される混沌とした勢力争いの時期です。
毛利側の資料が多く残っており、香西を敵とした感状もあるので、さらに混乱するのですが
本太城の合戦は、過去に何度も行われており、
元載の他に、永禄11年には、香西又五郎という者も討ち取られているので
或いは、違う時期の感状を、混同しているのかもしれません。
今後の、さらなる研究が待たれるところです。
ただ、感状というものは、その時、即時に発行されるものもあれば
何年かして、記憶を頼りに発行されたり、自家の権威を高めるために偽造されたりもするので
これだけを、真の資料とする姿勢には賛成できません。
まあ、アマの独り言として、お許しください。

 

南海治乱記の巻之六まで

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月19日(金)23時57分12秒 p32030-ipngnfx01souka.saitama.ocn.ne.jp
返信・引用
  平成29年5月20日

「南海治乱記の巻之六」まで転記完了。
この巻は、ほとんどが三好家の中央での盛衰を記したものですが
所々、香西成資の誤認があるものの
当時、地方に伝わっていた中央の歴史が赤裸々に描かれていて、興味が尽きません。
特に、巻末の「是、十河家の臣古老口つから語り伝ふ所也。」とあるのは
仄かなロウソクの灯りの下で、老翁の話を瞬きもせずに聞いている成資の姿を彷彿とさせ
感慨深いものがあります。

とりいそぎ。
 

よろしくお願いします!

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 3月23日(木)20時11分14秒 ftu42127227236.yuzu-tv.ne.jp
返信・引用
  管理人です。

還暦を迎える今年、一発奮起して
アマチュアの視点から、故郷の中世史を探求しようと
ようやく、阿讃戦国史の年表部分だけ完成しました。
しかし、まだまだ知らないことも多く、研究はこれからです。
香川県、徳島県はじめ、全国の皆様方の情報を、こころよりお待ちしております。

今後とも、よろしくお願い申し上げます。

今までの趣味に関しては、下記URLをご参照ください。

http://userweb.shikoku.ne.jp/mineral/index.html
 

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